ご報告(代筆)
na_kemoの夫です。
名前の通りナマケモノな面もある妻でしたが、しっかり、そばで見ているこちらが「もう大丈夫だよ」と声をかけるまで頑張りぬいた末、今朝方、息を引き取りました。
今まで閲覧いただいた方、大変ありがとうございました。
ここ3か月ほど記事の更新が停止していたようですので、na_kemoに代わりまして、彼女の様子を簡単にご報告させていただきます。
お分かりかとは思いますが、このエントリーは、彼女の死で終わります。
気分を害される可能性があると感じた方は、閲覧しないことをおすすめします。
12月の最後のエントリー後、腸閉塞の影響から、普通の食事を取ることが難しくなっていました。
お正月もジェル状のものしか食べられないほどになっており、
「最期のおせちになるかもしれない」とやや豪勢にしたのが、かえってツラい思いをさせてしまったかもしれません。
1月は腸閉塞からくる腹部の膨満感、また痛みに相当苦しめられ、途中緊急入院をしたりしながら、
オピオイドの投与量増加などでごまかしごまかし、という感じでした。
1月末ごろになると、通常の食事は摂れず、栄養は点滴からのみと切り替わりました。
味を感じたいときは、とりあえず口に入れて噛んで、あとは吐き出す、ということを繰り返していました。
それでも、彼女が何かをおいしいと感じることができていたのは、本当に幸せなことだったんじゃないかと思います。
嚥下できるものは、飲み物とアイスだけでしたが、これもアイス好きのna_kemoには「そこまで悪くない」と前向きに捉えていたようでした。
とはいえ、点滴を引いたまま自室のイスに座りパソコンを起動するだけの精神的な余力はなかったのでしょう。
スマホをイジっている時間もかなり短くなり、NetflixやAmazonPrimeで、日がな一日動画を視聴するという日が続いていました。
2月は、さらに腹部の膨満感がどんどん増大し、イレウス管を挿入することになりました。
しかし、腸閉塞が複数個所にわたって発生していたため、「奥のほうに溜まったガスなどは取れない=膨満感が解決しきらない」という状態でした。
一応、膨満感がこれ以上憎悪しないようにする措置、という感じだったのかもしれません。
膨満感からそれなりに苦しんで、2月も1度緊急入院しています。
ところが、3月は打って変わってまったく元気そのものでした。
膨満感自体は消えていないものの、痛みはオピオイドで大半が解決しており、ポカリを飲んだり、お風呂に入ったり。
過去2か月の苦痛が嘘のように、元気な姿を見せてくれていました。
彼女の実家の家族がかわるがわるお見舞いに来てくれたのも、効果があったのかもしれません。
それが、おとといに急変しました。
突如、強烈な腹痛を伴って、大量の排液(イレウス管を経由して出てきた液体)がバッグに溜まっていました。
その後も排液の勢いは収まらず、同時にわずか一日で一気に筋力が低下して、トイレまでの自力歩行が不可能になりました。
昨晩は意識レベルが低下し、私の質問の意味が理解できない、30秒程度の会話中に眠ってしまうなどの状態になりました。
「キツい」「楽になりたい」とろれつの回らない口で言われ、看護の方の指示を仰いだうえで、痛みを抑えるために処方されていた強めの薬剤を使用しました。
結果、痛みや苦痛はほとんど取り除くことができたのですが、直後に下顎呼吸が始まり、ほどなくして呼吸停止となりました。
彼女はガンが分かる前から「長生きはしたいけど苦しんでまでは長生きしなくていい」と言っていました。
結果、本当にそうなってしまったような気がします。
最期の12時間は本当にツラそうでしたが、強烈な痛みではなく、むしろ眠るように息を引き取れたこと。
「それが良かったんだ」「彼女にとって最良だったんだ」と、そう思うしか、私にできることはありません。
このブログのエントリーがなかった3か月間、私はna_kemoに多くの言葉をかけました。
彼女もまた、私に多くの言葉をかけてくれました。
これまでにも増して多く会話をし、お互いを理解したいと思っていたように思います。
できれば読者の皆さんは、「最期の3か月」ではなく「今からでも」多くの言葉をかけていってください。
それだけで、充実した時間が生まれると思います。
「生存日記」の看板に偽りアリとなってしまいましたこちらのブログは、このエントリーで終了といたします。
何かの役に立つかは分かりませんが、すこしでも彼女の生きた証をこの世に刻みたいと思い、このブログを残します。
(本当は消し方がよく分からないだけです)
改めまして、na_kemoのブログを見てくださっていた皆様、大変ありがとうございました。
皆様のご病気が、少しでも良くなりますよう祈っております。
na_kemoの夫